土形さんちの家系図

さて、「土方氏家系図」を手にしたもののどーしたものか…

 
家系図を見てみると、最初はやはり応神天皇こと「誉田別命大王」
次にその子供「大山守命皇子」
そしてその子供「津布良古王」
大山守皇子の子供について、古事記日本書紀は一切語っていません。まぁ反逆者として描かれているので当然と言えば当然なんですけど…
この津布良古王の名前の横に小さな文字で何か書かれている。
 
母遠淡国海國造摩奴良比賣
                           隨母居住遠淡海土形里
 
ふ〜む…
お母さん、つまり大山守皇子の奥さんは「摩奴良比賣」(マヌラヒメ)ってゆーのか…
そんでこの「津布良古王」くんはお母さんと一緒に土形里に来たのかぁ…なるほど
 
さらに系図を辿ると「津布良古王」の子に「多支古王」(読み方わからず…)「黒日古王」(おそらくクロヒコオウ)
この黒日古王の横にも小さく[日置朝臣祖家居日置里]とある
そして「多支古王」の子に「佐々良王」「久爾古王」「加米古王」(読み方わからず)
この加米古王の横にも
[榛原公祖家居榛原里]とある
 
つまり
土形⇨日置⇨榛原
と氏族が派生しているのだ
ちなみに、上記の三つの地名は静岡県に揃って残っている。
さてさて、調べるものも手詰まりになりかけた…が、ふと…土方周辺の神社に伝わる創建伝承に何かヒントはないかと思いついた。
思いつくかぎり、伝承の残っている神社を調べてみた。
 
 
 
 
 
 

きっかけ

ある日、本屋さんで見つけたのは「関裕二」という方の本でした。
私としては、 古代史の入り口としてとても入りやすい玄関となっていただきました。
主軸は、藤原氏の歴史改竄。
この本のお陰でもう一度自分のふるさとを調べ直す気力が湧き上がって来たのです。

歴史は勝者が作るもの。
古事記日本書紀が日本の古代史の全てではない。
これを頭に置いて、まず何から調べよう…
「土方」という名前から始めてみよう。
古事記日本書紀曰く、「土方氏」の興りはここ掛川市南部(旧大東町)だ。ん?という事は…「土方歳三」さんの遠い遠いご先祖様にあたる方が…?
…まさか…と思って家系図を探す。
すると、図書館の本棚の隅っこに古い本を発見した。
「土方伯」
とある…パラパラとめくってみると、一番最後に家系図を発見。見ると、日野に移り住んだと書かれている方がいらっしゃる…
でも今回は古代史だから、土方歳三さんについてはまたいつか…という事で、この古い本を改めて読んでみる…が表現があまりにも古くて読み解くのに時間がかかりそう…
面倒くさがりな私は、家系図だけコピーをとって表現のわかりやすいものはないかとこの古い本を棚に戻しました。
後にわかった事ですが、「土方伯」とは土方久元という人物で、なんと坂本龍馬と共に幕末に活躍された方でした。
 激動の時代に2人の「土方」さんがそれぞれ己の信じる道を生きていたんですね。感慨深いです。





初めてブログ…

はじめまして
初ブログです。

郷土愛から古代史に足を踏み入れてしまった経緯など、徒然なるままに書いていこうかと思っております。


私のふるさとは、静岡県掛川市南部にある「土方」(ひじかた)という土地です。古くは「土形」と書きます。
一見するとなんにもないただのド田舎… でも、実は古代史と繋がりがあるんです。
 
「土方」って簡単な字なのに読み方が変だと思いませんか?
たぶん、幕末に活躍した土方歳三さんがいなければ、誰も「ひじかた」なんて読めなかったのではないだろうか…?
私は中学生時代に、そんな特殊な読み方をさせる原因を調べようと図書館に行きました。結果見つけた答えは…
「古代天皇の1人、応神天皇の子孫がこの地に居住した事が里の興りである」
「子孫とは、応神天皇の皇子の1人で謀反を起こした大山守皇子の子供である」
という事だけ。
中学時代の私は正直がっかりしました。壮大な歴史ロマンに触れるかと思いきや、謀反に失敗して逃げて来たのか…と。
 ご先祖様ごめんなさい。中学時代の私はなんと浅はかだった事か…‼︎
 我がふるさとには、真に歴史ロマンが溢れておりました‼︎

大人になってから、何気なく買った文庫本。きっかけはこの一冊でした。