大山守くん親父の後継ぐの辞めるってよ

 さてさて…高天神の羽衣伝説を解明したのはいいとして…また新たな謎が浮上したぞ…

 なぜ、羽衣伝説を残したのか?

遠江国の土形里に移住したのは、反逆者大山守皇子の妻と子供だ。そんな場所に丹後半島の羽衣伝説に類似したモノをなぜ残したのか…
  何を言いたいのか薄々わかっている方もいるだろうか…?
  ここははっきりと言わせていただきましょう。

うぉおい‼︎古事記日本書紀、嘘ついてますよ⁉︎

  …こんなこと言い出すと、「いるいる、こういう事言い出す人…」って突っ込まれるでしょうね。それか怒られるかも…
  でもあえて言ってしまいます‼︎

  歴史は勝者が作るモノ

  古事記日本書紀ができた頃の時代の勝者って誰でしたっけね?
  そう、藤原さんです。
  なんでいきなり⁇となるので…とりあえず、藤原氏の話はあっちに投げときます。えぃ⤵︎

  えぇと、なぜ記紀が嘘つきなのか…
 最古の羽衣伝説を有する丹後半島。その土地を掌握していたのは、四道将軍のひとり「丹波道主命」つまり和邇氏です。大山守皇子とは時代が違いますが、伝承によれば丹後半島の「土形里」に国府を定めたのが「丹波道主命」だとか。その際、比治山の麓に社を設けて娘に奉斎させたと言います。その娘の名は「ヤオトメ」…おやおや「八」の娘っこですか…
  さて、和邇氏が領する地名と伝説が大山守皇子の一族が移住した土地にあるというのは偶然でしょうか?
 結論を先に言いますと…

大山守皇子は和邇の一族である。

古代史研究をされている方々に怒られそうですね…

  しかし、そうとしか考えられないんです。
  記紀の中で王位を争った相手「兎道稚郎子皇子」の墓と言われる場所には、別の言い伝えがあったとか…

元々この皇子の母親の墓だった。
又は、兄である大山守皇子の墓であった。

というモノ。
兎道稚郎子くんは、記紀では「和邇氏」のお母さんから生まれています。
さぁこんがらがって来ましたね。
なんで兄弟ケンカした2人のお墓の場所がカブってしまうのか…

 ここでひとつ、大山守くんの名前に注目…と言っても「大山守」という名前なんですけど…
 でも、奇妙だと思いませんでしょうか?
 お父さんの応神天皇に「お前は山海を治めよ」と言われたのは大人になってからなのにお父さんに仕事を命じられる以前に、既に取って付けたような名前がついてるなんて…

  さて、ネット検索の成果をここで発揮。

山形県新庄市に大山守皇子を祀った「七所明神」というのがあり、そこに伝えられた伝承によれば…

 四世紀初頭、大山守命は次期天皇の座を辞退し、東路を目指して旅立ったという。このことを知った悪臣どもが、「大山守命は東国に下って軍勢を整え、都に攻め上るであろう」と言いふらしたため、天皇となった兄(仁徳(にんとく)天皇)の連臣(れんじん)(家臣団)から命を狙われるはめとなった。
 東国を目指した大山守命は、転々と逃れたのち、最上川下流にある現在の庄内町で捕らえられ、連臣らに斬られたという。

 この伝承によれば、大山守皇子は次期天皇であった。
  おや?兎道稚郎子皇子も次期天皇に指名されてましたね…
  そうです。大山守皇子と兎道稚郎子皇子は同一人物だったんです。
   大山守くんの本当の名前は兎道稚郎子くんだったのですね。…この名前も本物かどうか…
  とにかく兎道稚郎子皇子の通称(あだ名)が「大山守」だったのではないでしょうか。

  記紀はわざわざ1人の人物を2人に分けて、次期天皇の後継争いを描いていた。
  一体どうしてそんな手の込んだ事をするのだろうか…?
  
  羽衣伝説は、歴史の真実への鍵となるべく残された物語だったのですね。

高天神城の謎〜いるはずの無い姫君〜

話が少し飛ぶが…
我が故郷の唯一と言っても過言ではない観光資源が「高天神城」(たかてんじんじょう)という山城だ。
戦国時代、武田vs徳川の合戦の舞台となった。
 山としての正式名称は「鶴翁山」(かくおうさん)という。その昔、山の麓でひとりの翁が鶴を飼っていたとか、山の形が鶴が翼を広げて伏せているように見えるからだとか…山名の由来はハッキリとはわからない。
  しかし、土方っ子なら誰でも知っている高天神城の悲しい言い伝えがあった。

 高天神城落城の時、武田方の姫が山頂にあった井戸にその身を投じて自ら命を絶った。

 というものだった。
 ところが、奇妙なことに文献等に高天神城に姫が居たという記録は無いという…第一、こんな山城で籠城するまで姫君が残って居たとは思えない。
  では一体この言い伝えはなんだったのか?

  地元周辺の神社をあらかた調べ終えた頃、思いつきでインターネット検索で何か出てこないかと試していた時、高天神城の謎の答えを見つけた。
  
 その答えの前に…
 「土方氏系図」の大山守皇子の妻について少し話をしておかなければならない。回りくどいと言われそうだが…なにぶん初心者なもので…

 古事記日本書紀に謀反人として描かれてしまった大山守皇子の奥さんの名前「摩奴良比賣」
 実はこの名前と同じ名前の方がいらっしゃいました。
  出雲神話スサノオの妻として登場するクシナダ姫です。
  記紀では、「クシナダ姫」「クシイナダ姫」とだけしか書かれていませんが、「出雲風土記」ではクシナダ姫の長い名前が残っていました。私は、これが本当の名前「本名」と言ってますが…

久志伊奈太美等与麻奴良比売命

「マヌラヒメ」
 同じ名前ですね。
 ちなみに、「マヌラ」を韓国語で訳すと「新妻」という意味になるとか…

さて話を戻して、インターネット検索で見つけたモノ…それは「羽衣伝説」でした。日本最古と言われている「丹後国風土記」の羽衣伝説の舞台は「比治山」
この山の麓にかつて「土形里」があったのだとか。

ある日、比治山の山頂にある真名井に8人の天女が舞い降りて沐浴をしていた。それを偶然見かけた老夫婦が、天女のひとりの羽衣を隠し、天に帰れなくなった天女を我が家の子供としてともに暮らした。天女のおかげで田畑は潤い、生活も豊かになった。にもかかわらず、なぜか老夫婦はその天女を追い出してしまう…

だいぶ割愛するが、この老夫婦と天女が暮らした土地が「土形里」と名付けられたという。

さて、お気づきだろうか?
 キーワードが3つ
 「8人の天女」「井戸(真名井)」「土形里」
   クシナダ姫は確か8番目の姫でしたね。
 そうなんです、高天神城の謎、居るはずの無い姫君の伝説は実は、羽衣伝説だったんです。口伝のみで伝えられてきた伝説は長い時を経る中で内容が変化してしまったのです。
 ひょっとして…こっちの伝説の方が古いのでは…?
 
それにしても、口伝のみでよくぞ残ってくれていたものだ。

土形さんちの家系図

さて、「土方氏家系図」を手にしたもののどーしたものか…

 
家系図を見てみると、最初はやはり応神天皇こと「誉田別命大王」
次にその子供「大山守命皇子」
そしてその子供「津布良古王」
大山守皇子の子供について、古事記日本書紀は一切語っていません。まぁ反逆者として描かれているので当然と言えば当然なんですけど…
この津布良古王の名前の横に小さな文字で何か書かれている。
 
母遠淡国海國造摩奴良比賣
                           隨母居住遠淡海土形里
 
ふ〜む…
お母さん、つまり大山守皇子の奥さんは「摩奴良比賣」(マヌラヒメ)ってゆーのか…
そんでこの「津布良古王」くんはお母さんと一緒に土形里に来たのかぁ…なるほど
 
さらに系図を辿ると「津布良古王」の子に「多支古王」(読み方わからず…)「黒日古王」(おそらくクロヒコオウ)
この黒日古王の横にも小さく[日置朝臣祖家居日置里]とある
そして「多支古王」の子に「佐々良王」「久爾古王」「加米古王」(読み方わからず)
この加米古王の横にも
[榛原公祖家居榛原里]とある
 
つまり
土形⇨日置⇨榛原
と氏族が派生しているのだ
ちなみに、上記の三つの地名は静岡県に揃って残っている。
さてさて、調べるものも手詰まりになりかけた…が、ふと…土方周辺の神社に伝わる創建伝承に何かヒントはないかと思いついた。
思いつくかぎり、伝承の残っている神社を調べてみた。
 
 
 
 
 
 

きっかけ

ある日、本屋さんで見つけたのは「関裕二」という方の本でした。
私としては、 古代史の入り口としてとても入りやすい玄関となっていただきました。
主軸は、藤原氏の歴史改竄。
この本のお陰でもう一度自分のふるさとを調べ直す気力が湧き上がって来たのです。

歴史は勝者が作るもの。
古事記日本書紀が日本の古代史の全てではない。
これを頭に置いて、まず何から調べよう…
「土方」という名前から始めてみよう。
古事記日本書紀曰く、「土方氏」の興りはここ掛川市南部(旧大東町)だ。ん?という事は…「土方歳三」さんの遠い遠いご先祖様にあたる方が…?
…まさか…と思って家系図を探す。
すると、図書館の本棚の隅っこに古い本を発見した。
「土方伯」
とある…パラパラとめくってみると、一番最後に家系図を発見。見ると、日野に移り住んだと書かれている方がいらっしゃる…
でも今回は古代史だから、土方歳三さんについてはまたいつか…という事で、この古い本を改めて読んでみる…が表現があまりにも古くて読み解くのに時間がかかりそう…
面倒くさがりな私は、家系図だけコピーをとって表現のわかりやすいものはないかとこの古い本を棚に戻しました。
後にわかった事ですが、「土方伯」とは土方久元という人物で、なんと坂本龍馬と共に幕末に活躍された方でした。
 激動の時代に2人の「土方」さんがそれぞれ己の信じる道を生きていたんですね。感慨深いです。





初めてブログ…

はじめまして
初ブログです。

郷土愛から古代史に足を踏み入れてしまった経緯など、徒然なるままに書いていこうかと思っております。


私のふるさとは、静岡県掛川市南部にある「土方」(ひじかた)という土地です。古くは「土形」と書きます。
一見するとなんにもないただのド田舎… でも、実は古代史と繋がりがあるんです。
 
「土方」って簡単な字なのに読み方が変だと思いませんか?
たぶん、幕末に活躍した土方歳三さんがいなければ、誰も「ひじかた」なんて読めなかったのではないだろうか…?
私は中学生時代に、そんな特殊な読み方をさせる原因を調べようと図書館に行きました。結果見つけた答えは…
「古代天皇の1人、応神天皇の子孫がこの地に居住した事が里の興りである」
「子孫とは、応神天皇の皇子の1人で謀反を起こした大山守皇子の子供である」
という事だけ。
中学時代の私は正直がっかりしました。壮大な歴史ロマンに触れるかと思いきや、謀反に失敗して逃げて来たのか…と。
 ご先祖様ごめんなさい。中学時代の私はなんと浅はかだった事か…‼︎
 我がふるさとには、真に歴史ロマンが溢れておりました‼︎

大人になってから、何気なく買った文庫本。きっかけはこの一冊でした。