摩奴良比売の実家を探せ!2

   お久しぶりでございます。

    大変長らくお待たせ致しました。かなりの期間更新できず申し訳ないです。

    それにしても…思ったより時間て足りないものですね。気がつくと既に1日が終わってるんです。

    ま、私のいい訳は要らないですよね。

    では早速始めましょう。

 

   前回、磐田市の見付天神社(矢奈比賣神社)と土形氏の生みの親「摩奴良比売」とは実は繋がりがあるのでは?という風にお話させていただきました。

    では、摩奴良比売の実家が磐田の見付であるのか…というとそうではなく…結果から申し上げます。

   摩奴良比売の実家は磐田市よりも北のまた北、長野県の「諏訪湖」なのです。

    はぁ⁈という方、少々お待ちくださいね。やっぱり‼︎という方、素晴らしいです。

    何故「諏訪湖」なのか?

    これは、古代史にハマるキッカケをくださった関裕二先生の著書にもありますが…

    諏訪湖の守護神「建御名方神」の母とされる「奴奈川比売」が実は、「神功皇后」である。

    という説があるからなんです。

    さぁワケがわからなくなりますよ〜ついてきてくださいね。

   奴奈川姫=神功皇后…意味わからん⁇

   という感じでしょうか…。

   記紀には、神功皇后はまるで、神がかった女武将のように勇ましく描かれています。実際に勇ましい方だったのかもしれません。大和国側から見て、逆賊である九州地方をあっという間に平定し、朝鮮半島の一部まで掌握してしまうのですから。

   関裕二先生の説でいうと、この勇ましさが「仇(あだ)」となったのでしょう。九州を平らげ、朝鮮半島まで手を伸ばして一部は掌握してしまった。となると、逆に大和国が危うくなるのではないか?と、神功皇后を派遣した(正確には仲哀天皇を派遣したのだが…)大和国側は疑心暗鬼に捉われたのです。

    神功皇后が優秀すぎて、いつか大和国を脅かす!と疑いを持つようになってしまった大和国から、出る杭は打たれるが如く神功皇后追討令が出てしまったのです。哀れ、神功皇后は味方であったはずの大和国から追われる身となってしまいました。

    北九州に拠点を置いていた神功皇后大和国に、まずその拠点から攻められたのです。味方からの突然の襲撃に神功皇后はさぞや驚き、そして絶望した事でしょう…。裏切られた神功皇后は、大和国の追捕の手から逃れるため、まだ幼子だった皇子と別れて九州を離脱。逃亡生活が始まりました。

    という事で、少々割愛しますが…この神功皇后の逃亡ルートと北陸地方等に残る奴奈川姫の伝説が不思議と重なっていく…という事で、そこから 神功皇后=奴奈川姫であるという説が浮上したわけです。

   そして、伝説では奴奈川姫には男御子がおり、その子供の名が「建御名方」なのです。

    さて、ここで疑問点が…奴奈川姫が神功皇后ならば、建御名方は誰なのか?

    神功皇后の息子といえば…胎中天皇応神天皇」が有名ですが、神功皇后にはもう1人息子がいるのです。

    その名も「ホムヤワケ命」

    応神天皇の兄とされていますが、伝承等もあまり無く、弟に比べて地味な存在となってしまっています。…が!この「ホムヤワケ命」こそが「建御名方」であると私は考えております。…って同じことを考えていた方もいらっしゃったとは思いますが……。

   そして、この建御名方こそが「摩奴良比売」の父親であると私は確信しております。

   何故なら、建御名方神が「出雲神」であるからです。

   建御名方神の 存在は古事記先代旧事本紀の2つの文書に記載されており、もともとは諏訪地方の地元神ではないかとの説があるが定かではない。しかし、建御名方神の特性は開拓神。諏訪とは違う別の場所から移住してきたという説もまたあるのです。では、建御名方神=ホムヤワケ命は何処の地よりやって来たのか?

   それは、古事記の伝説の通り「出雲国」からやって来たのです。

   古事記には、天つ神への国譲りを拒み勝負にも負けてしまった建御名方神は、逃亡の末に素羽国の諏訪湖にたどり着き、追って来た天つ神に「二度とこの地から離れない」と誓い諏訪湖に落ち着いた…とあります。

   私は、この逃亡劇、ひょっとしたら母である奴奈川姫=神功皇后と共に行動していた建御名方=ホムヤワケ皇子の逃亡劇が元になっているのではないか?と考えております。ちなみに、奴奈川姫と建御名方の親子関係について記しているのは、先代旧事本紀である。

    さて、奴奈川姫=神功皇后が息子を伴い諏訪へと落ち延びた末にどうなったか…?

   おそらく、諏訪にて大和軍に追いつかれ、捕縛されたのではないだろうか?

   そして、神功皇后は処刑され、息子のホムヤワケ皇子は諏訪にて封ぜられ、生涯、諏訪から離れる事は許されない身となったのだ。

   そんなホムヤワケ皇子=建御名方の娘として生まれたのが「摩奴良比売」である。

   さて、お気づきの方もいらっしゃるだろうか?

    そうです、土形氏の親である大山守皇子と摩奴良比売はいとこ同士の夫婦だったのです‼︎

    それがどーした⁇と言われそうですね。説明していきたところですが…申し訳ございません、今回はここまでです。

ではまた…