よみがえりの一族

  どーもです。大変お久しぶりです。遅くて申し訳ないです。

   さて、只今放送中のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」に今度「高天神城」が登場します。

   「高天神城を征する者は遠州を征す」とまで言われるほどの重要な城…だったんですよ。今は…なんだかうら寂しい感じですが…。

   しかし、虎松役の菅田将暉くんが「高天神城」と言ってくれるだけで高天神城も報われる気がしますね。

   …何回も言ってくれないかなぁ…。

   …もう大河ドラマの撮影終わったらしいので無理ですけどね…わかってますけどね…。

   高天神城へおいでの際はぜひ、当時の処刑場跡の「首斬り塚」と、おそらく晒し首の場所であったであろう「千人塚」も見て行ってくださいませ。

 

   なんだかおどろおどろしくなって来たので話を元に戻します。

 

    前回までは、神話のような時代のお話でしたが…今回はちょっと時代が下って、古墳時代後期〜奈良時代の土形氏のお話にしましょう。

   土形氏初代「津布良古王」くんが都に上り、葛城円として大臣にまで出世し、そして葛城氏解散後(歴史書では滅亡)、再び「蘇我氏」として蘇った土形一族。葛城時代から変わらず大王家の陰日なたになって支えてきた…はずです。

   残念ながら、確たる証拠が無いためやはり私めの妄想と想像が入り混じってしまいます。

   「土形家系図」によると、推古天皇の御代にこの「土形」を名乗る事を許され「土形君」と呼ばれるようになったのです。

  推古天皇の御代と言えば、蘇我氏が台頭し、栄えていく頃でしょうか。更に、歴史的超有名人のかの「聖徳太子」がご活躍された頃です。そんな推古朝に仕え、位も「冠位十二階」第4位にあたる「小仁」を与えられ、派生氏族「日置氏」はおそらく聖徳太子のお子さんの1人の後見についたのでしょう。太子のお子さんの一人に「日置王」というお方がおられます。

   歴史書等にはほとんど現れない「土形氏」

   全くの陰の存在となってしまったのか…?

  今回は短いですがここまで…

  では、また…