新年初登頂‼︎

   新年でございます。

   明けましておめでとうございます。

   今年は久々に地元に帰って高天神城跡のある「鶴翁山」に登って来ました。まぁ地元っ子は皆「高天神に登る」と言いますが…。

   今年は初日の出がとてもキレイに見ることができました。そして、初日の出を拝んだ後、本丸跡へと向かったところ…

  

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  まるで絵画のような富士山を見ることができました。

   実はこの富士山、冬場は空気が澄んでいるせいか、山頂に登らずとも高天神(鶴翁山)の麓からでも見えます。

   さすがは日本一の山。

 

   さて、「富士山」…なぜ「ふじ」と呼ばれるようになったのか?

   ご存知の方もいらっしゃるだろうと思いますが…「不死の山」…日本で1番高く死なずの山であるとか「不二の山」…二つとない山である。という意味あいを込めて名付けられたというのが一般的に知られている由来ではないでしょうか?

    しかし私は見つけてしまいました…そう、富士山の本当の由来を!

 

    以前お話しした通り、富士山信仰の総本山である富士山本宮浅間大社を奉斎するのは「和邇部氏」です。そして「土形氏」の祖「大山守皇子」の正体が「菟道稚郎子皇子」であるということから、「土形氏」は「和邇氏」の末裔であると申しあげました。

    そして、和邇氏の証として「羽衣伝説」をあげました。

    現在、最古の羽衣伝説とされているのが「丹後国風土記」に残された羽衣伝説である。この風土記の羽衣伝説と、高天神城に口伝のみで残る「姫井戸の伝説」が実は羽衣伝説であり、丹後風土記の羽衣伝説と同一のものである。というのが私めの唱える「土形氏は和邇氏の末裔である」説なのです。

    …なんだか陳腐な文になってしまいましたが…。

    では、上記の羽衣伝説と富士山の名前の由来がどう繋がるかと言いますと…丹後風土記の羽衣伝説の地である、京丹後市の磯砂山はかつて「比治山」と呼ばれておりました。この比治山の麓にあるいくつかの社の一つに「藤社神社」(ふじこそじんじゃ)というものがあります。この神社も羽衣伝説に関わる神社で、なんと天女を里から追い出した「和奈佐の夫婦」を祀る社があるとか!…いえいえ、言いたいのはそこではなく…この「藤社神社」という名前です。「藤社」の「フジ」は「比治山」の「ヒジ」が訛ったものなんだとか…。

   さぁお気づきでしょうか?

   そう、「富士山」の語源は「ヒジサン」である可能性が高いのです‼︎

   そして私めはもう一つ気がつきました。京丹後市の羽衣伝説の地「磯砂山(旧比治山)」と高天神城有する「鶴翁山」の二つの山の形がどちらも台形で似ている事に。

    大山守皇子(菟道稚郎子)が失脚し、その子孫(皇子の津布良古王)が亡命の地を探している時、偶然にも見つけた山が故郷にあるかの山に似ていた…。おそらく郷愁に駆られたのではないだろうか…?そうして、この地にもうひとつの「土形里」を作ったのだろうと思うのです。

   ちなみに、羽衣伝説が作られたのは津布良古王くんがお母さんと亡命してきた時代よりも後の世の事です。それについては後々またやります。

    

    「ヒジサン」→「フジサン」になり、奉斎を始めたのは「和邇氏」なんですね。おそらく、ただ滅びていくのではなく、なんとしてでもこの悔しい想いを伝え残したい!という強い想いがあったのではないでしょうか?

    

    富士山の由来は比治山に有り

 

    どうでしょう?新たな由来説として加えていただけないでしょうか…

 

    またまたちなみになんですが…「フジサン」にはもう一つの意味を込めて「不死山」というのもあるのではないかと思っております。

   それは大山守皇子菟道稚郎子皇子も、その子供である津布良古王=円大臣(一言主大神)も記紀の中では一度死んでいるのですが、各地に残る伝説では「実は生きている…」というモノがあり、「死なずの伝説」を持つ一族として伝え残していこうとしたのかなぁと思うのです。更には、和邇は海人族ですから、大陸からの最新の技術と共に最新の医術をも手に入れていたとしたら…今まで助からなかった命が助かって生き延びた!なんて事で「死なずの一族」としての噂も立っていたのではなかろうか?

   証拠があるわけではないので憶測ですが…

 

   ではでは今年もよろしくお願い致します。