真実は小説よりも奇なり 2

  お久しぶりでございます。平成もあとちょっとで終わりますね。ひとつの時代に区切りがついて、物悲しくもあり、新しい時代への期待も有りでなんだか複雑な心境です。

   「令和」

    良い響きですね。せめて人々の喜びの多い年代になりますように。

    ではでは、本題に入りましょう。

 

   さて、前回突然登場いたしました「柿本人麻呂」さまですが…。この歴史的超有名人がどうして「土形氏」と関係してくるのか?とお思いですか?それとも、歴史好きにとっては「そんな事知ってますとも」と仰るでしょうか?

   そーなんです、実は日本最古の和歌集「万葉集」に柿本人麻呂の妻では?という事で「土形娘子」という人物が出てくるのです。しかし、人麻呂がこの「土形娘子」にと詠まれた歌は「葬送歌」だったため、この娘はわざわざ田舎から人麻呂の元へ嫁に来たのに、若くして亡くなってしまったのだろう…というのが今までの見解です。

   しか〜し!私はこの見解に異論を唱えます‼︎

   まず、この土形娘子は「若くして」亡くなってはいないのです。

   葬送歌なのに?と思いますでしょうが、しばしお待ちを…

 

   万葉集が編纂された頃、おそらく「古事記」「日本書紀」も編纂、あるいは完成されていた頃だと思われます。

   そして、その頃の権力者といえば、言わずと知れた「藤原氏」であった。

   柿本人麻呂は、元々天武帝に仕えていたために藤原政権に疎まれていた。そのため、人麻呂が残した歌を後世に残すためには策を労す必要があったのだ。人麻呂の歌を残すために、様々な歌を集めた「万葉集」に人麻呂の歌を散りばめたのではないのだろうか?

「木を隠すなら森に」という言葉があるように「歌を隠すなら歌集に」と編纂者は考えたのではないか…

 

   ところで…「柿本人麻呂」をよく「宮廷歌人」と称するモノが多いが、これは役職ではないというのは…歴史が好きな方はご存知ですよね。

    そんな雅な役職があるはずも無く、当然、人麻呂は当時の位階制度に則り何かしらの役職についていたはずです。しかし、それすらもわからない謎の歌人として、何故か有名になってしまった柿本人麻呂さま。

   さまざまな研究者の方々…ごめんなさい。私めはとんでもないことぶっ込みます。

 

   柿本人麻呂は、妻と子供のために「古事記」と各所の伝説伝承を作り上げました。

 

   はいスミマセン申し訳ございません。

   でも言っちゃいます。

   前回、お話させて頂きました「宮子姫」

   彼女は、藤原不比等の実子ではありません。そう、柿本人麻呂と土形氏の娘、伝承では、人麻呂の妻の名を「依紗羅姫」と申しますが、この2人の間に生まれてきた姫なのです。

   かなりぶっ飛んだ妄想だと思われるでしょうが、まぁそのまま聞いて(?)ください。

   まず、人麻呂と土形娘子「依紗羅姫」の馴れ初めですが…

   人麻呂は元々、大海人皇子(のちの天武天皇)に仕えておりました。大海人皇子は後々の事を考え、各地に味方を作っていた。その一つが、土形氏であります。

   今まで語ってきました通り、土形氏の始祖は大王家の御子でございます。つまりは元を辿れば皇族。更にはかつて国政の中心を担っていたであろう「葛城」「蘇我」との繋がりもある。更に更に、元々が「和邇」という海人族であるため、各地にパイプを持っていてもおかしくない。大げさに言ったとしてもこの土形氏が大海人皇子に味方しないわけがないのだ。その証拠に「土形氏系図」に天武朝の官位「直大肆」を賜わった人物がいる。壬申の乱の折にそれなりの功績があったのだろう。

   そんな繋がりの中、一族の娘が柿本人麻呂の元へ嫁いだのは自然の流れだったと思われる。そういえば「柿本氏」も元を辿れば「和邇」ではないか。

   ここからは、私の妄想力が暴走していると思われるかもしれないが…

   人麻呂と依紗羅姫は互いに惹かれあって一緒になったのだろう。

   だからこそ人麻呂は古事記万葉集にヒントを残した。それは後の世に真実を伝えるために。

   あ、ちょっとわけのわからない流れになってきましたでしょうか…

   今回のところはこの辺で…

   では、また…