真実は小説より奇なり3

   仁徳天皇陵ユネスコ世界文化遺産に登録される見込み

   ニュースでざわついておりますね。仁徳天皇といえば、土形氏の祖先である「大山守命皇子」(宇治稚郎子皇子と同一人物ですよ☆)のご兄弟ですね。

   ………お祝いムードの中…思い切って水を差そうと思います。

   まず、仁徳天皇陵が本当に仁徳天皇のものなのか?

    私はキッパリ「違う」と言いたいですね。あそこまで巨大な墳墓を作るという事は、国の財政が潤っていなければできないのではないでしょうか?

    同じ世界三大墳墓の「クフ王のピラミッド」も「秦の始皇帝陵」もそれぞれの王たちが国の繁栄を築いてきたからこそできた墓であると言っても過言ではないはずです。

    仁徳天皇の時代…正直、あの巨大な墓を築くまでの繁栄があったのか?というのは疑問です。

    更に、歴代の天皇陵の比定に関して、そのほとんどが明治時代に日本書紀を参考にして定められたと言うのがまたひとつ疑問に挙げられます。

   そして、今日まで天皇陵の比定地が曖昧のままになってしまったのは、ほとんどの天皇陵が禁域として定められ、各墳墓の学術調査が思うようにできないというところに問題があります。

    仕方ないと言えば仕方がないですが…そろそろ、日本人も自分のルーツをハッキリさせる時期なのではないでしょうか?

  … 生意気を申しました。

 

   さて、話を戻しまして…

   柿本人麻呂さまが活躍していた頃、国は荒れておりました。

   壬申の乱を経て、天武天皇が治めていた時代。人麻呂は依紗羅姫(土形娘子)と幸せに暮らしておりました。とはいえ、人麻呂は大変忙しかった事でしょう。政権交代したばかりの国政。あれやこれやと整えるべきものが多かったと思います。私の勝手な妄想から申しますと、人麻呂は天武天皇の秘書のような役割だったのかもしれません。国政の様々な取り決めや制度を整えて行くために、最高責任者の手足となる者が必要だったはずです。人麻呂はおそらく、天武帝の代わりに各地各所を飛び回っていたことでしょう。

   そんな中でも、歌を詠み妻へと送る。それがあたかも各地の女性に恋文を送るかのごとく、人麻呂の詠んだ歌が万葉集に納められたのかもしれません。

   そうして数年後、天武帝が病に倒れた頃、おそらく政権にほころびが生まれたのかもしれない。その頃から藤原不比等が台頭し次第に力をつけてきたのではないでしょうか。

   その頃の不比等にとって目の上のタンコブのような存在が2つ。天武帝の手足となって動いていた「柿本人麻呂

    天武帝に味方して力を取り戻しつつあった「土形氏」

   まあ厳密にいうと、不比等にとって邪魔な人物は多々存在していたと思われますが…

   しかし最も厄介な柿本人麻呂の存在を抑えるために、不比等は強硬手段を取ったのです。

   そうです、それは人麻呂の妻を人質に取る事。

   人麻呂の妻「依紗羅姫」=「土形娘子」を人質にとってしまえば「土形氏」をも抑え込める。そうして不比等は実行したのだと思われます。しかし、依紗羅姫は妊娠または既に子を生んでいた。だがそこはそれ、不比等は考えた事でしょう「いつか手駒として使えるかもしれない」と。

    人麻呂の葬送歌はひょっとしたら、妻が監禁されている場所を指して「あそこに妻が居る」と訴えている歌なのかもしれない。

   そして、依紗羅姫は「賀茂比売」として歴史書に載ることになった。

   そうです「賀茂比売」とは「矢の姫」なんです。

   「矢の姫」は「八の姫」

   「八の姫」は人身御供として化け物に捧げられてしまう。そう、まるで「出雲神話」の「クシナダヒメ」のように…

 

   更にもう一つ、この賀茂比売が生んだ「宮子姫」

   度々申し上げますが、柿本人麻呂の子です。そして、おそらく女性で初めて名前に「子」という字をつけられた方です。

  以前お話した事があると思いますが「子」あるいは「古」という字は元々男性、男児に多くつけられておりました。古代においては、比較的「和邇氏系」の氏族に多かったとか…

   この「宮子」という名前、おそらく名付けたのは母である「賀茂比売」つまり土形娘子です。何故なら「宮」という字は陰陽五行で表すと「土」だからです。更に言えば「土」は「央」つまり「中心」なんだそうです。

   また怪しさが増した…と思わないでくださいね。

   そもそも、この時代は大陸(主に中国ですね)からの文化、思想が日本に大いに流入しておりました。その証拠に、都を造営する際にも中国の文化を参考にしています。陰陽道の考え方も伝わっていました。天武帝陰陽道を学んだとか……

   最もわかりやすいのが、平城京遷都の際の元明天皇の「平城京遷都の詔」ですね。

   平城の地は四禽図に叶い三山鎮をなす   

 

   すみません、わからない方は自分で調べてください。今回は解説飛ばします。

 

    話を戻しまして…

    土形娘子は、生まれた我が子が「藤原」の娘として生きていかなければならない事が悔しかった。だからこそ名前に真の素姓を託したのかもしれない。

   我が子は「土」の子也

   

   我が子は「土形」の子であると…

   そして、そんな「賀茂比売」の意を汲んで、柿本人麻呂は妻の故郷である「土形」の里を守るかのごとく「遠江熊野大社」を建立したのである。

 

   名前が複数あってややこしいですね。申し訳ないです。

   でも、まだまだややこしくなります。ごめんなさい

 

   今回はここまでです

   では、また…