神の名は〜数多ある名前

    先月の話ですが、 1か月ぶりにフリーのお休みができたので、約10年ぶりに映画館に行ってきました。

    緊張しました。今はチケットもタッチパネルで購入できるんですね…チケットのもぎりも…やってないんですね…ポップコーンのフレーバーが凄いことになってますね…浦島太郎状態を悟られまいと必死に平然としたフリをしてました。歳がわかってしまうでしょうが、口は閉じましょう。変な汗…かきました。

    観た映画は『天気の子』でした。面白かったです…

 

   さて、長々ダラダラとブログを続けてしまいましたが、そろそろ締めに入って行きたいと思っています……思ってはいるんです……がしかし、なかなか進みが遅くなると思います。今から謝ってしまいます。ごめんなさい…

 

   私めが地元の歴史に興味を持ち、調べ始めたのは今から12年前になります。まだまだ調査も考察も甘いですが、自分の故郷がなぜそこにあるのか?その理由が少しわかって、今はとても誇らしい気持ちです。

    思い起こせばそれは、小学校6年の時です。歴史の授業でした。

    「士農工商」の話を先生がしていた時、その場の空気を和ませようとしたのでしょう、先生は言いました「…なので、Yaotome の家は士農工商で言うと1番下になるって事だな!」

    当時ウチの実家は、自営業でお店を開いていました。田舎とはいえ、店が全くないわけではなく、ただそのクラスでは私めの家が唯一の商業の家だったのです。今の時代でこんな事言ったら大変ですよね。最近の教科書には「士農工商」というのは載っていないそうで…いやはや時代ですね…

   ただ、当時の自分はやはり納得できず、帰宅後祖父母に尋ねました「ウチのご先祖はどんな人物」か?

    しかし、実家での始祖様は曾祖父母という事で、あまり期待した答えではありませんでした。ですが、この時の会話が元で、祖父は親戚が集まる行事の度に古い系図を掘り起こそうとしてくれていました。それを元に家系図を作ろうとしていたようなのです。この事実も、祖父が亡くなって七回忌の法要の際に知りました。やはり、話をしなければ、聞かなければわからない事って多いですね。

   それはともかくとして、自分の家の歴史は浅かったと勝手に落ち込んだ私めは、ハタと思いつきました。一戸の家ではなく、町や村、つまり土地の歴史はどうだろう?と思い立ち調べ始めたのです。

   今ではすっかり郷土愛の権化と化しており、このブログでも妄想特急が走ってる部分が多いかと思われます。

   しかし、言い訳させていただけるなら、歴史をただの記録としてみるのではなく、人の生きてきた証として私は見ております。人が生きてきたのが歴史ならば、人の感情も歴史の一部ではないか?という想いでブログを綴っております。伝承や伝説には、人の想い、思惑、感情が含まれていると、私は勝手に感じております。

   前置きが長くて申し訳ありません。では参りましょう。

 

   とっても久々に、当ブログの過去の記事を読んでいました。

   ……なんという事でしょう…「摩奴良姫の実家を探せ!」が中途半端になっている⁉︎

   2年経ってやっと気づくという詰めの甘さ!というか頭のユルさ!というか…

   大山守命皇子と摩奴良姫の2人がいとこ同士での結婚である。というところで終わっていました。

   現代でもいとこ同士は婚姻できますが、古代の、しかも王族となると話が違ってくるようで、いとこ同士はもちろん腹違いの兄妹でも婚姻関係になれたようです。大王家ではそれが特に重要だったようで、記紀の中では大后は、大王と親戚関係にある者の中から特に選ばれたようです。妃(側室のようなもの)には有力豪族の娘などが入っていました。言い方は悪いですが、妃に入った娘が上手いこと大王の子供を授かれば、大王家との姻戚関係が築けるといった寸法です。

   血が近い者同士の婚姻は危険が伴う。古代の人もそれはわかっていたとは思います。しかし、大王家の神聖な血が濃ければ…その子は日継ぎ皇子(皇太子)として頂点により近くなる。

    私は勝手に「血の神聖」と呼んでいますが、大王家の血を神聖視していたのだろうと思います。

   和邇氏の大山守皇子と摩奴良姫。素性を辿ればどちらにも大王家の血が入っている。(表面上はですが)

   その2人の子である「津布良古王」は、おそらくもっとも大王の地位に近かったことでしょう。

   そして、そのように筋書きを組んだのはやはり最高権力に最も近かった「和邇」の一族だった。

   和邇氏は、最先端の技術を武器に国内の地位をぐんぐん上げていきます。しかし、昇りつめてしまえばあとは下るのみ…和邇氏は他の豪族に足元を掬われてしまうのでした。

 

   さて、ここでまたもや名前について語りたいと思います。以前にも語らせていただきました「摩奴良比売」という名前ですが…そう、出雲神話クシナダヒメの本名「久志伊奈太美等與麻奴良比賣」と同じ名前なんです。

クシナダヒメも「麻奴良比賣」

土形氏の母も「摩奴良比売」

   つまり、この2人の夫=スサノオ

ということになるのです‼︎

…若干の無理矢理感は否めませんが…

ただ、記紀で披露される出雲神話を見ると、スサノオクシナダヒメが2人1組のセットととして刷り込ませているように思えるのです。もうお分かりでしょうか…?

    そうです。

    大山守命皇子はスサノオの立ち位置なんです。

   大山守命皇子=菟道稚郎子皇子=スサノオ

  さぁだんだんと訳がわからなくなってきました。いつも下手くそな説明で申し訳ないです。

   残念ながら、また続きます。

   今回はこの辺で…では、また…