神の名は〜その名に宿し言霊

 先日、ショッキングな漫画を発見してしまいました。なんと、古事記を編纂したのは実は藤原不比等であったという物語の漫画です(ザックリ説明)  … ビックリです…

 

   何度も言いますが、古事記の編纂を主導したのは「柿本人麻呂」です。

 依頼主は「天武天皇」です。

 この件に関しても追々語るつもりです。

 

 さて、皆様は「名前」について考えた事はありますか?自分の名前について、人生で一度はその意味について考えたり、調べたりしたかと思います。

 こんな事を聞いた事はないですか?

 「名は、そのモノを縛る言霊である」

 この世の様々な名前には言霊が宿っているのです。言霊について長々と語るつもりはありませんが、私の推論は「名前」が重要なのです。ちなみに、地名もその土地の「名前」という事になります。

 

 私めがまず疑問に思った事は「土方」と書いて「ひじかた」と読ませる特殊性。これまでの先人たちの見解としては「土師氏に関係する氏族だったのであろう」という事でした。

 けれど、それだけで日本史のなかで重要人物である「応神天皇」の子孫が名乗るには「土師氏」との関係性は見えてこない。

 ある人は言いました。

 「土師氏は主に土器などの生産を司り、その製品などを運ぶ手段は船などを使ったため、山海の長として定められた大山守命皇子の子孫が「土」の字を冠する名を名乗るにはなんら不思議は無い」

 

 確かにそうかもしれない。

 けれども何か府に落ちない。

 そう思いある日ふと、ネット検索で「土形」と入力してみると…

    「羽衣伝説」に行き当たったのです。

 …同じ話を何度もスミマセン

 

 では、ここからは私の妄想と推論が入り混じった、物語のような話をいたしましょう。

 ウンザリと思われた方…今のうちにこれを読むのをやめた方が良いです。

 

 まず、時は遡り約1300年程昔。

 権力を手中に収めた藤原不比等は、幼き日嗣の皇子「首皇子」の為に、柿本人麻呂を脅して作らせた「古事記」を基に「日本書紀」を編纂しました。

 元々の古事記は、天武天皇の「各地域、各氏族の持つ伝承等をまとめあげ、選別し、この国の歴史を残す」という意図で編纂が進められていたはずです。

日本書紀」は実に皇族にとって都合の良い物語となっており、首皇子にとって良い教科書になるだろう、そうしなければと不比等は思っていたでしょう。

 ところが、人麻呂も黙って言われるがままに従う気はありません。分かる人にはわかるように、古事記を編纂していました。不比等は人麻呂の意図には気づかず、日本書紀編纂時、古事記から引用する部分も多くあった事でしょう。

 その代表的なものが「出雲神話」です。

 記紀の中にある「出雲神話」と「出雲風土記」の「出雲神話」には異なる部分があるのは有名な話です。それは、記紀編纂時に各地の神話や伝説をまとめる際に、天皇家にとって都合の良いようにまとめられたからだと言われておりました。

 確かに、王家に都合よく歴史書が作られるのは世の常であった事でしょう。

 ただ、私が見つけた違和感は小さなモノでした。

 それこそが「名前」だったんです。

 出雲神話と言えば…「八岐大蛇退治」の説話ですよね。この八岐大蛇退治の伝説でヒロインとして登場するのが「クシナダヒメ」です。

 記紀だけを読めば、この姫はスサノオによって櫛に変化させられるため、名前に「櫛(あるいはクシという言葉)」がつくのか…という印象が残ってしまうでしょう。

 しかし、出雲風土記では「久志伊奈太美等與麻奴良比賣命」と表記され、稲田の神としての特性を与えられている。更に言えば、「くしいなだみと(よ)あたわす」までが敬称であり「麻奴良比賣」が真の名であり、女神の特性〜本名までをしっかりと伝え残してしている。

   このクシナダヒメの本名である「マヌラヒメ」を記紀はなぜ省いたのか?

 それは、藤原氏にとって知られると都合の悪い名前だからです。そんな名前を人麻呂はあえて隠したのです。違和感を与える為に。

 既にお気づきでしょうが、何故「マヌラヒメ」が藤原氏にとって都合が悪い名前なのかというと…そうです。人質として連れてきた人麻呂の妻、土形氏の娘「依紗羅姫」のご先祖に当たる方と同じ名前だからです。

 藤原氏はこう考えた事でしょう…「マヌラヒメ」と「スサノオ」の子孫の系譜を知られてはならぬ。

 

 国の歴史書製作は、国の一大事業。それ故に関わる人の数もそれなりに居たはずで、関係者には多くの知識人有識者が名を連ねていた事でしょう。

 この一大事業に、柿本人麻呂と共に関わっていたであろうとされる人物に「伊豫部馬養」という者が挙げられています。

 そうです、丹後国風土記にこの国最古の「羽衣伝説」を伝え残した人物です。

 このお方も謎めいた方とされておりますが…私は気付いてしまいました。そう、この「ウマカイ」なる人物…実は土形氏出身の方なんです。…と言い切っちゃってますが、私めもハッキリと確証があるわけでもなく…少々見切り発車な部分が否めないのですが…

   スミマセン、言い訳です。

 というのも、「土方家系図」に「牛養(うしかい)」という方がいらっしゃいます。この方のご兄弟には「難波長柄宮」に仕えた方がいらっしゃいました。難波長柄京と言えば、孝徳天皇の時代です。

私はふとある考えが浮かびました。

 「牛」という字は書き間違いで、実際は「午」という字だったのではないか?

 「土方家系図」を新たに書き直す際に字を見間違えたか、書き間違えたかしたのではないか?

 「伊豫部馬養」という人物が丹後国風土記に「羽衣伝説」を残した際、既に高齢であったという推察がある。馬養は丹後国風土記に「羽衣伝説」を伝え残した後、次の任地である伊豫国へと赴任したらしい。

 伊豫国とは現愛媛県のことである。

 愛媛には、一級河川の「肱川」という川があります。古くは「比治川」と表記されていたとか…あ、と思われた方、そうです…「ひじ」なんです。穿った見方をしてしまいますよね。

 「土方」と関係している?

 つまり、馬養なる人物は「土方」なのではないか⁉︎

 

 ちなみに、愛媛県の向かいにある広島県には「比治山」という小高い丘があります。瀬戸内海の島々も挟んでいるので愛媛県から見えているかは…考えられませんが、しかしこれは本当に偶然なのでしょうか?

 広島の比治山に関して、言い伝え等あれば調べたいところなんですが、力及ばず…

 

   さて、だいぶ話がそれてしまったので元に戻しましょう。

 私の言いたかった事は…

    伊豫部馬養が柿本人麻呂と共謀して「羽衣伝説」を残した。

 という事なんです。

 「羽衣伝説」が鍵となって、藤原氏によって抹消された歴史が現れてくるのではないか…

    私にはそう思えてなりません。

 

 更に余談ですが…

   以前、掛川市教育委員会教育委員会

:その土地の遺跡、埋蔵文化財なども管理してらっしゃいます)の方に「高天神城趾の姫井戸の伝説」について、これは「羽衣伝説」ではないか?と話したトコロ…キッパリと否定されてしまいました。残念無念…

 

   長くなりましたが、続きは次回に…

   では、また…