語り部は伝う

 新型肺炎の大流行で世界的に大変ですね。

 何故かティッシュペーパーとトイレットペーパーが買えない状況にため息が止まりません。花粉症なのに…

 

   それはさておき。

 突然ですが「遠州七不思議」ってご存知でしょうか?

 遠州地方に伝わる不思議な伝説や伝承のことなんですが、実は七不思議と言っておきながら七つに収まっていないんです。

 いえ、言いたい事はそこではなくて…

    その遠州七不思議の一つ「桜ヶ池の大蛇」についてです。

 「桜ヶ池」とは、御前崎市佐倉にある池の事です。池のほとりには「池宮神社」という神社があります。

 平安時代末期、この池に「皇円阿闍梨」というお坊様がやって来ます。

 なんでも、56億何千万年後に現れるという弥勒菩薩に教えを乞う為、その身を蛇に変えて池の底で待つ。と言って自らその身を池に沈めたのだそうです。

 しかし、弟子の「法然上人」は納得できず「まだ師匠からの教えを全て得ておりません」と皇円阿闍梨を説得し、人の世へ戻ってもらおうとしました。が、説得叶わず。法然上人はせめて、という事で毎年秋の彼岸に赤飯をお櫃に納めた物を池の底に沈め、皇円阿闍梨に捧げる。と約束しました。

 後に「お櫃納め」という神事として毎年秋に行われる事となりました。

 何が不思議かと言うと、その納めたお櫃は絶対に浮いて来ない事。一説では、そのお櫃が、遠く離れた長野県の諏訪湖に浮かんでくるという。

 その為か地元では「諏訪湖と桜ヶ池は繋がっている」という伝説まであります。

 

 さて、注目していただきたいのは「皇円阿闍梨」という人物と「諏訪湖とつながる」という部分でしょうか…

    この「皇円阿闍梨」さん、ご存知の方は流石です。拍手です。

 そうです。このお方こそが歴史書扶桑略記」の著者でございます。そして、この「扶桑略記」によって「八幡神」=「応神天皇(誉田別命大王)」というイメージが広まったといわれています。

 扶桑略記は、神武天皇堀河天皇(1094年)までの国史、僧伝、寺院縁起等の仏教関連の記事を中心に多くの典籍を引用し、まとめられたものでした。

 皇円は、比叡山の僧侶でした。比叡山…古くから信仰の対象であり、平安遷都後、最澄天台宗を開いた日本仏教の聖地でもあります。平安京の鬼門に位置するため王城鎮護の山としての役割もありました。そんな場所だからこそ、国の重要な歴史書などが保管されていても不思議ではないですよね?

 皇円は、様々な書物からこの国の真実を知ったのではないでしょうか?

 実は…と言うほどでもないですが、この皇円阿闍梨の出自はなんと藤原氏だったのです。

 

 これは、私めの勘としか言いようがないのですが…

 土形氏の祖先は「応神天皇」に行き着く。その応神天皇をある意味有名にしたのは皇円阿闍梨が編纂した「扶桑略記

 そして、応神天皇の子孫である「土形氏」を徹底して隠したのは「藤原氏

 藤原氏全盛の頃に記紀は編纂され、その藤原氏の娘であり、日本で仏教を広めようとした「聖武天皇」の母「宮子姫」所縁の熊野三社は、土方の地を囲うように建立されている。

 そして、藤原氏の子孫である皇円阿闍梨は「土形」と所縁ある「比木里」近くの池宮神社にてその身を池に鎮めたのです。

   そうです…

  皇円阿闍梨は意図的にこの地を訪れている。

 更に私めの妄想を加えますと…

   様々な書物、歴史書等から、皇円は歴史の真実と藤原氏の所業に気がついた。

 皇円がこの地を訪れ、伝承を残したのは贖罪の意味もあったのかもしれない。

 

 ついでに申し上げますと…

    磐田市の見附天神社に残る人身御供の伝説も、実は皇円が創作し、里人らに伝え残したのかもしれない。

 元々の伝承は、土形の娘が都に住む貴人(柿本人麻呂)の元へ嫁いだという話であったはずだ。

 それがなぜ、化物への人身御供の話になったのか?

 土形の郷の「羽衣伝説」と同じで、一見するとただの昔話だが、その実は歴史の真実である。しかし真実をそのまま伝えるのはリスクがあったりもする。そして確実に伝え残す。という事を重視して、物語調にしたのではないだろうか?

 見附天神の人身御供の伝説も

 「サル」

 「白羽の矢」

 「乙女」

 のキーワードがある。「犬」は少しの間離れていてもらいましょう。では参ります。

 「サル」

 実は柿本人麻呂系図には「柿本佐留」という方がおります。人麻呂の兄であるとか、父であるとか言われてますが、実はハッキリわかってません。

 しかし私は、人麻呂本人であると考えております。数ある人麻呂の別名のなかで1番最初の名前であったのだろうと思います。

 「サル」から「ヒト」へ進化(成長)したので名前が変わったのでしょうか?それとも、本当の名前が「サル」であったものを後の世の人が敬意を込めて「ヒト」へと進化させたのでしょうか…

 そのサルの元へ「矢」で選ばれた「乙女」が捧げられる。

 おやおや?どこかで見たような字面ですね。

 そうですここにも「ヤオトメ」が出てきます。更に仕掛けがもう一つ。

 「白羽」

 実はこの文字、別の文字にも変換できるんです。

 「素羽」

 「素」とは白いという意味もあります。

 「因幡の白うさぎ」も古くは「素兎」と書いているんですよ。

 さて皆さまお気づきでしょうか?

 そうです「白羽の矢」とはつまり「素羽の八乙女」という意味もあるのです。「諏訪のヤオトメ」とは、土形氏の母「摩奴良姫」であります。

 土形の乙女(つまり摩奴良姫の子孫)が都に住む「サル」つまり柿本人麻呂のもとへと捧げられた。

 とまあ磐田市教育委員会からしたら「なに言ってんの⁇」と言われそうですが…

   また更に話を広げますと、猿を神使にしている神様をご存知ですか?

 「日吉神」

 比叡山延暦寺の守護神として崇敬を受けておりますが、延暦寺建立以前には「比叡山」は「日吉山」と呼ばれ、日吉神社が祀られておりました。日吉神とはすなわち「大山咋神」であります。

 さてこの辺で「まさか」と思われた方、素晴らしい。

 「大山咋神」の御神体として「鳴鏑矢」を祀るお社があるようで、そのせいなのか「丹塗り矢」伝説の賀茂の玉依姫の夫としての伝承もありますね。

 そうです、賀茂の玉依姫も「ヤオトメ」なんです!

 いい加減しつこいかなぁ…とは思ってます…ハイ

 ただですね…

   日吉山は琵琶湖の最南端。琵琶湖は日本海と都、更には太平洋側をも結ぶ、いわば水のバイパス道路なんです。古代において、琵琶湖を制していたとも言える一族はズバリ「和邇氏」です。和邇氏はその海運技術により当時の日本の物流を握っていたと言っても過言ではありません。そんな和邇氏の末裔でもある「大山守皇子(兎道稚郎子)」が日吉神社の神として祀られていてもおかしくはないでしょう?名前も似ているし…

   

    だいぶ脱線しましたが…つまり、全てはつながっているのです。

 どんな形にせよ、誰かが語り継いでいかなければここまでの推測にまで至らなかったと思います。

 伝説は語り部がかく語りき

 

 

   今回はこの辺で…では、また…